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普通の生活

可能な限り普通の生活に近づける

全ての人の社会参加

これが福祉社会の定義とされるものです

日本では福祉社会の考え方は戦後、法律と共に大きく変わって行きました

「全ての国民は、個人として尊重される」

「全ての障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」

「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

私たちは社会の発展と共に人としての生きる理想の姿を求めてきました

自由も許されない、又、生きる権利も許されなかった時代

身分制度、権力・・・

「権利と義務」と言われますが、これも社会の発展と共に生まれた言葉です

そしてこの言葉も要らなくなる社会になって行くのだと思います

現在、少子高齢化と言われますが

心身の健康を守るとともに、我が子を守ることは権利・義務ではなく当たり前のことです

「人間としての尊厳を守ること、未来を守ること」

これも人として当たり前の考え方、行為ではないでしょうか?



2012/09/12(水) 18:13 福祉・医療・介護 permalink COM(0)
普通の生活

当たり前の生活

朝起きて、顔を洗って、排便をして、朝食を摂って日常の生活をする

昼食を取って日常生活の後、夕食を摂って就寝

障害者、高齢者になると当たり前の生活ができなくなります

不自由な身体の度合いにもよりますが、生きて行くためには周りの援助が必要になります

先ず、身内の援助、それで無理であれば社会の援助が必要になります

そのために保険料、税金を払っている訳ですが、社会福祉を充実させるためには

「皆で支え合う、負担し合う」ということになります

過去には「家族で支え合う」ということが当たり前でしたが

便利になり人の考え方、やり方が変ってきました。一つの意見として

「これでは親子としての繋がりが薄れる。親子になる意味がない」と思うのですが

現実、少子高齢化の進む社会、何処まで維持できるのでしょうか?

今後、当たり前の生活をするには厳しい社会になって行くことは御承知の通りだと思います


※ここで書いていることは当たり前すぎて笑われるかも知れませんが

多くの人が現実問題としてイメージできていないようなので、敢えて書いています

必ず来る大問題であって、どう乗り越えて行くか?

その時に人の心はどう変化して行くか?

苦し紛れにどう決断するのか?



2012/09/11(火) 11:14 福祉・医療・介護 permalink COM(0)
人は生まれながらにして「同じ」ということはありません

生まれた環境が違います

そして個性が違います

能力も違います

だから、周りの人と差ができます

もし、差があったとしても人として普通の暮らしが出来れば幸せを感じます

「人間らしく生きる」ためには、先ず心身ともに健康であること

そしてお互い理解し合い、協力し合うこと

しかし、必ずしも人は心身ともに健康でいることは難しいように思います

無理からくる病気、不慮の事故、突然の死・・・

全ての人が迎える老化

どんな立場の人でも普通の生活を送りたいものです

それには、自助努力が必要です

そしてできない部分を助けてもらう

「お互いさま」と言うことがありますが、人を頼りにし過ぎると

自分が退化して行きます



2012/09/10(月) 21:40 福祉・医療・介護 permalink COM(0)
「人間らしく生きる」

誰しも意志を持ち、手と足と知恵を持っています

これは人間の生きる基本です

そして自由、平等、公平を土台として社会活動をしています

社会は便利な社会へと変化しながらも

「生き物はこの世に生まれてこの世を去る」

「親から子へ引き継がれていく」ということは変わっていません

家族は無償の働きの基本であり、生まれて来た子を育てる

年老いた親を介護するのも、子としての当然な行為であり、心の繋がりの一つです

「人間らしく生きる」とは

「想う、動く、創る、繋ぐ」という行為の中で「幸せ、悦び、希望」という心で満たすこと

社会福祉の理念も歴史の変化の中で成熟してきたように思います



2012/09/09(日) 13:19 福祉・医療・介護 permalink COM(0)
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