今日は日曜日
チャイムが鳴り目が覚めた
「あ、7時だ」
月に一回兄が来てくれる
兄は6歳上、近くで一人住まいをしている
優しい兄だ
いろいろ思うことがあって普通の人生を歩まなくなっている
昭和22年生まれ、戦後間もなく生まれている
団塊の世代だが猛烈人生ではなかった
社会に対して異論を持っていたので仕事が付いて来ず
一つボタンの掛け違えた人生を送ってしまっている
人生は駒が転げるように不安定なものだ
常に人生の指針を持っていなければ食い違いが出てくる
世の中に合わせればそれなりの人生になっていたものの
強情な面があったのかどうしても馴染めなかったようだ
何度も会社を変わり、長男からも注意されていたが
聞く耳を持たなかった
聞かないと言うより人生の流れ、後戻りできないまで進めてしまっている
戦争への道でも同じなのだろう
大勢がその方向に向いている以上、方向転換はできない
人生も同じようなもの
何かの出会い、人との出会い、或いは事件との出会い
心の変化を促すものがない限り、流れて行ってしまう
これを定めと言うのでしょうか?
人の定め、国の定め
兄は40過ぎが体調面でも最悪と言っていました
厄年も関係するのだろうか?
しかし、最近元気なので聞いてみた
すると、阪神大震災、東北大震災を機に心身に変化があったという
何て不思議なもの
生活も思うようには行っていませんが、現在生きています
健康保険、年金なし
言うこと聞かなかったとは言え、お世話になった身
母も兄のことが一番気がかりでした
以前から兄のことを報告すると涙を流していました
子を育てるのも思うようにはならず
何時も「何もしてやれない」と言っていました
「仕方ないやん、今まで遣ることやったんやから」
「兄貴は兄貴の人生やん」
母親とは何歳になっても母親なんですね
こんな母を思うとこちらまで泣けてきます
人生の歯車が狂う
でも、それも人生かも知れません
今日、話をしていて感じたことは結果を出すことではなく
どう言ったらいいか分かりませんが
「人生は心の修正」
そんな気がします
年老いて元気がなくなる人
年老いて元気になる人
人生いろいろ
人生の結果はこの世を去る時の心の状態で決まるのではないか?
そんな気がしました
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